中井智弥 OFFICIAL WEB SITE

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櫻 川

櫻 川   作曲:中井智弥

 貧しい暮らしの中、母のため自ら身を売った櫻子、その子を追い常陸まで来た母。花びらを浮かべて流れる櫻川で狂女となった母が艶やかに舞い狂い、満開の櫻の下で奇跡の再会を果たすのであった。母子離別の悲劇性を春の叙情感を通して表現した能楽「櫻川」を、尺八と二十五絃箏で切なく華やかに描いた。
 私は、今も昔も母の子供に対する愛情は変わらないと信じている。子供を失った母親の悲しみは極限に達し、ゆえに母は狂ったのではないか。人間が真に切なく悲しいときに見る桜は、美しさと共に儚さや空しさ、つまり無常を感じるのだろう。そんな人の本質に迫りたかった。

 東国の商人が日向国で自ら身を売りたいと尋ねた少年を買い取りその少年の手紙と身代金を少年の母に届けるのであった。手紙には我が家の貧窮を見るに偲びなく、自ら身を売って東国に下るという櫻子の悲痛な決意がしたためられていた。母は驚き悲しみ、子の行方を尋ねようと故郷を迷い出る。三年後、常陸国磯部寺の僧が、自分の弟子にした少年を連れて櫻川へ花見に行くと、流れる花を網で掬う女がいる。今日も櫻川へ来ていたので、その理由を聞くと、女は「わが子の名を櫻子といい、この川の名もまた櫻川というので、散る花を徒らにしないようにと思って掬っているのです」と答える。
 黒人が「にわかに山嵐がして花が散るよ」と言うと、今まで正気であった女が次第に狂乱し、川面を真っ白に染めた桜の花びらを必死で掬い集めるのであった。それらはいずれも木に咲く桜だが、本当に手にしたいのは、探し求める我が子「櫻子」だと思い返すと、母は絶望感に襲われ、止めどない涙が溢れ出るのであった。また流れる花をあたかも我が子の命のように思って惜しみつつ、桜が無常にも次々と儚く散る美しさは、一層母を悲しみのどん底に突き落とすのであった。
 その狂乱の鎮まった後、少年は実は自分が櫻子であると告げると母は夢ではないかと喜び、二人で故郷へ帰って行った。

KAGOME

KAGOME   作曲:中井智弥

 わらべ歌の「かごめ」を大人が口ずさむうちに、幼少期を懐かしく思い出し、いつの間にか子供にかえってみんなで唄って遊んでいるというファンタスチックなイメージで描いた。
 原曲「かごめ」を五つのバリエーションで構成し様々な変拍子や奏法を採り入れた結果、高度なテクニックを要する作品となった。さあ一緒にその先へ行ってみませんか?

清 経

清 経   作曲:中井智弥

 能楽の「清経」は平家物語の左近衛中将平清経(平重盛の三男)とその妻の想いを描いた作品である。清経はもともと戦いに向かない性格であった。たび重なる血生臭い戦いにより彼の精神は衰弱しきっていた。敵の源氏と一度も刃を交える事無く、九州の海に自ら散った清経。嘆き悲しむ妻の枕元に立った清経は、妻を慰めようと、自害の訳と西海での合戦の様子を語り始めるのであった。山鹿(やまが)の城における戦いのこと、柳という場所に逃げたこと、皆で宇佐八幡に参詣したにもかかわらず、神に見放され平家の末路を暗示する神託があったこと等。
 やがて清経の話は、柳ヶ浦での最期の場面へと進んでいく。敗色が濃くなる中、舟の切る波が追っ手の顔に思えたり、松に群れる白鷲の姿が源氏の白旗に見えるほど心身ともに追いつめられていた状況下で、清経は「どうせ消えゆく身ならば」と、好きな横笛を吹き、南無阿弥陀仏を唱えて最期の瞬間を迎えたのであった。
 私は、様々な思いを込めて吹いた清経の最期の笛を想像してみた。人が憂鬱・絶望の中、最期を迎える音楽とは・・・。もし自分が最期に奏でるとすればその音楽は、最期に聴きたい音楽は・・・と様々な事を思い、この曲を書いた。

おぼろ月夜

おぼろ月夜   編曲:中井智弥

 薩摩琵琶、そして琴古流尺八奏者・長須与佳リサイタルの為に小学唱歌としてお馴染みの「おぼろ月夜」をアレンジした。
 私の編曲イメージは、この「おぼろ月夜」のテーマにのって、春風を感じたり、朧月の夜空を駆け巡ったり・・・・・ ベッドから抜け出した一晩の小さな旅行といった感じである。

道成寺

道成寺   作曲:中井智弥

 愛した男を鐘ごと焼き殺した情念の大蛇は生き続けていた・・・・・。能の「道成寺」は安珍清姫伝説の後日談を描いた作品である。
 昔々、幼い女は山伏と深い仲になり契りを交わすも裏切られ、悲しみと絶望、怨みをもち、逃げる山伏をどこまでも追いかけるのであった。女は追いかけているうちに大蛇となり男の息の根を止めようと更に男に執念を燃やすのであった。どうしようもなくなった山伏は道成寺に逃げ込み、鐘の中に隠れると、後から追いついた大蛇に怪しまれ、大蛇は鐘に巻き付き炎を吹きかけ鐘ごと男を燃やすのであった。それから何百年とたった後の話である。
 白拍子にとりつき再び女人禁制の道成寺に入り込む女がいた。その鐘を前に女は舞を見せながら再び怨みがたちこめ、鐘の中に篭り再び大蛇となるのであった。
 このサスペンスドラマのハイライトは前場の舞、「乱拍子」である。「乱拍子」の間、小鼓は長い沈黙に裂帛のカケ声をかけて鼓を打つ演奏を繰り返す音楽で、白拍子はそれに従って特殊な足遣いを見せる。戯曲上の波状をきたすほどに長大な舞であるが、一転して急の舞を舞い
落下する鐘に飛び込む(鐘入り)までである。そのハイライトまでを二十五絃箏・尺八・小鼓による「道成寺」に描いてみた。
 道成寺の季節は春。桜の舞い散る中、裏切られた女は悲しみ、怨みを 抱きながら、昔その男が隠れた鐘を目の前に舞を舞うのである。前半はその過去を回想する女の心情に迫り、後半は一転して狂乱に陥る様(乱拍子・急の舞)を描いた。
 又、謡曲「道成寺」は難曲で一人前の能楽師として認められたときに許される演目である。この私の「道成寺」も特別な思いを込めて、難曲に仕上げた。
 二十五絃箏・小鼓・尺八の三人の奏者は個人のテクニックもさる事ながら、アンサンブルテクニックを要することを書き示しておきたい。

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