二十五絃箏 & 尺八ユニット URANUS OFFICIAL WEB SITE


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櫻   川

櫻  川                        中井智弥作曲

貧しい暮らしの中、母のため自ら身を売った櫻子、その子を追い常陸まで来た母。
花びらを浮べて流れる櫻川で狂女となった母が艶やに舞い狂い、満開の櫻の下で奇跡の再会を果たすのであった。母子離別の悲劇性を春の叙情感を通して表現した能楽「櫻川」を、尺八と二十五絃箏で切なく華やかに描いた。私は、今も昔も母の子供に対する愛情は変わらないと信じている。子供を失った母親の悲しみは極限に達し、ゆえに母は狂ったのではないか。人間が真に切なく悲しいときに見る桜は、美しさとともにはかなさやむなしさ、つまり無常を感じるのだろう。そんな人の本質に迫りたかった。(2004年4月作曲)

清   経

清  経                        中井智弥作曲

能楽の「清経」は平家物語の左近衛中将平清経(平重盛の三男)とその妻の想いを描いた作品である。清経はもともと戦に向かない性格であった。たび重なる血生ぐさい戦により彼の精神は衰弱しきっていた。敵の源氏と一度も刃を交える事なく、九州の海に自ら散った清経。嘆き悲しむ妻の枕に立った清経は、妻を慰めようと、自害の訳と西海での合戦の様子を語り始めるのであった。山鹿(やまが)の城における戦いのこと、柳という場所に逃げたこと、皆で宇佐八幡に参詣したにもかかわらず神に見放され平家の末路を暗示する神託があったこと等。やがて清経の話は、柳が浦での最期の場面へと進んでいく。敗色が濃くなる中、舟の切る波が追っ手の顔に思えたり、松に群れる白鷺の姿が源氏の白旗に見えるほど、心身ともに追いつめられていた状況下で、清経は「どうせ消えゆく身ならば」と、好きな横笛を吹き、南無阿弥陀仏を唱えて最期の瞬間を迎えたのであった。私は、様々な思いを込めて吹いた清経の最期の笛を想像してみた。人が憂鬱・絶望の中、最期を迎える音楽とは・・・。もし自分が最期に奏でるとすればその音楽は、最期に聴きたい音楽は・・・と様々な事を思い、この曲を書いた。(2006年4月作曲)


道 成 寺

道 成 寺                       中井智弥作曲

愛した男が身を隠した鐘に巻きつき、その鐘ごと焼き殺した情念の大蛇は生き続けていた…。能の「道成寺」は、安珍(あんちん)清姫(きよひめ)伝説の後日談を描いた作品である。白拍子(しらびょうし)に執り憑き、再び女人禁制の道成寺に入り込む清姫の霊。その鐘を前に舞う白拍子実は清姫の霊は、昔日の怨みが沸き起こり、鐘の中に篭りまたも大蛇となる。このドラマのハイライト、前場の舞に「乱拍子」と「急の舞」がある。「乱拍子」とは、小鼓の長い沈黙に裂帛(れっぱく)のカケ声をかけて鼓を打つ演奏である。白拍子は繰り返される「乱拍子」に従って特殊な足使いを見せる。「急の舞」では、白拍子は一転して激しく舞い乱れ、最後には落下する鐘に飛び込む(鐘入り)のである。私の「道成寺」は、そのハイライトを描いた作品である。道成寺の季節は春。満開の桜の中、裏切られた女は悲しみ・恨みを抱きながら、昔その男が隠れた鐘を目の前に舞を舞うのである。前半は女が昔を回想する心情に迫り、後半は狂乱に陥ってゆく様子を「乱拍子」と「急の舞」を用いて描いた。また、謡曲「道成寺」は難曲で、一人前の能楽師として認められたときに許される演目である。私の「道成寺」も特別な思いを込めて仕上げた。(2005年4月作曲)

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