実現が叶わなかった2公演

1年以上前から準備を重ね、上演直前に断念する事になってしまった富山県で行われるはずだった2公演。

「地域の文化資産に着目し、その中から現代社会との接点を見出せる素材を基に企画を立案する」という実践が、地域毎に行われるようになって初めて、伝統芸能普及・振興の第一歩が踏み出せる!というメッセージをこの数年お伝えし続けています。

富山市のオーバードホールでは、源平の戦いが佳境にさしかかった「倶利伽羅峠の戦い」で、源義仲が平維盛率いる平家軍を「火牛の計」によって撃退する場面を、邦楽囃子集団・若獅子会が作曲・演奏し、日本舞踊家集団・弧の会が振付して踊る…富山で刻まれた歴史の一コマを、オーバードホールの舞台機構を駆使して、21名の紋付袴の男たちが迫力満点に表現することになっていました。

「倶利伽羅峠の戦い」で敗れた平家の落武者たちがたどり着いた五箇山で、今では富山県を代表する独自の文化を数多く生み出しました。中でも養蚕はお馴染みですが、五箇山で生産された生糸を絹織物にしたのが城端でした。上質な絹織物が多くの需要を得て、城端の絹商人たちは、莫大な富と爛熟期にあった江戸文化を吸収して地元に戻り、豪華絢爛なる曳山を作り今に至るまで継承しているのです。

歌舞伎を代表する演目に『勧進帳』がありますが、富樫が義経一行に勧進の布施物を贈る場面があります。そこで唄われるのが「加賀衣(かがぎぬ)あまた取り揃え」という長唄の一節。オーバードホール公演のちょうど一週間後、南砺市城端のじょうはな座で行われる予定であった公演チラシに用いている写真は、まさにその場面…城端で織られた反物が登場するのです。そんな経緯を企画に仕込んだ公演でした。

有名アーティストによるパッケージツアー公演のように集客=採算を目的とする公演とは一線を画しますが、地域に根差した内容・構成ですから実は親近感溢れるエンターテインメントとして楽しんでいただけることは間違いありません。地域の文化事業に充てられる予算=税金を投入して実施する訳ですから、一回性の“打ち上げ花火”のような公演ではなく、観聴きした後で「地元っていいなぁ!」と地域の良さを体感していただけるような企画に懸けてこそ、文化の力がなせる地域活性化に他ならないと考えてきました。

だから…残念でなりません。数知れず通って自分の故郷のように思われる富山。少々形は異なっても、上記公演の実現に向けて尽くしたく思っています。

 

 

 

 

オーバードホール公演  「火牛」稽古風景